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2010년 1월 28일 목요일

일본, '국민독서의 해' 시작

 

                   *사진출처: http://iwakiland.blogspot.com/2010/01/blog-post_03.html

 

일본의 '문자활자문화추진기구'와  '활자문화의원연맹' 등 3 개 단체는 2010년 1월 27 일 도쿄 참의원 의원회관에서 집회를 열고 '국민독서의 해(国民読書年)' 활동을 시작한다고 선언했다.

 

이 날 집회에는 '활자문화의원연맹'의 새 회장을 맡게 된 민주당의 야마오카 겐지(山岡賢次) 국회대책위원장과 국민독서의해추진회의 대표를 맡고 있는 건축가 안도 다다오(安藤忠雄) 등 200여 명의 관계자가 참석했다고 마이니치 인터넷판은 전하고 있다. 문자활자문화추진기구의 후쿠하라 요시하루(福原義春) 시세이도 명예회장은 "책 이탈 현상(本離れ)은 일본문화 기초의 붕괴에 연결된다. 국민독서의 해는 위기적인 상황을 타개하는 첫 해"라고 말했다고 한다.

 

또한 다른 보도(活字離れの危機的な状況に打開を 国民読書年でアピール)에 따르면 일본펜클럽 회장인 아토다 다카시(阿刀田高)는 "자원이 적은 일본은 '읽는다'는 것을 통해 나라를 가꿔왔다. 일본의 독서는 아직 빈사상태는 아니다"라고 강조하였다 하고, 일본서적출판협회의 고미네 노리오(小峰紀雄) 이사장은 전자미디어 사회의 도래로 독서행동이 바뀌고, 활자문화의 기반이 흔들리고 있음을 말하면서 저작물 재판제도의 유지와 학교도서관을 충실하게 할 것을 호소했다 한다.  

 

 

참고: 個人が自由に本を楽しむ、おおらかな「国民読書年」運動に

 

個人が自由に本を楽しむ、おおらかな「国民読書年」運動に作家 文字・活字文化推進機構副会長 日本ペンクラブ会長  阿刀田高氏

2009/11/11

 

 昨年11月、文字・活字文化推進機構は2010年の「国民読書年」に向け、各界の代表者をメンバーに迎えた国民読書年推進会議を発足。社会と広く連携をとり、市民レベルでの読書活動をより推進していく。日本ペンクラブ会長であり、文字・活字文化推進機構の副会長を務める阿刀田高氏に、国民読書年に向けての抱負や出版界の現状などを聞いた。

本はささやかな美術品、この機会に贈り合う習慣を

―「2010年国民読書年」の国会決議は、文字・活字文化推進機構が発足以来、採択を働きかけてきた経緯があります。来年はどのような取り組みを予定していますか。

 今年になって政治状況が大きく変化したこともあり、具体的な輪郭が明らかになるのはもう少し先になりました。その中で機構として今考えているのは、今年10月から第1回を実施する「言語力検定」の普及を活発化させていくことです。「言語力検定」は、断片的に言葉の意味を問う試験ではなく、全体の文脈の中で日本語を理解しているかなど、大きな意味での読解力や言葉力を測定するものです。設問は○×式だけではなく、自由記述問題を多く取り入れ、採点方法についても言葉の専門家が「読む力・書く力・考える力・伝える力」という4つの基礎的な力をきちんと評価する仕組みを作りました。

 「言語力検定」には、3つのレベルがありますが、現在の応募状況を見ますと小中学生の参加が多く、高校生以上がまだ少ないようです。受験勉強や普段の仕事で忙しいという事情もあると思いますが、コミュニケーション力や論理的な思考力が求められる大人たちにこそ、言葉の力を養ってほしいと思っています。今後は自治体レベルでの参加を呼びかけたり、就職の際に評価される資格として認知されるよう経済界にも働きかけたりしていきます。

 

――国民読書年推進会議には、出版・新聞事業者のみならず、放送、教育、実業界など各界の代表者が参加しています。社会全体を巻き込む運動として期待していることは。

 実は私は、そもそも読書というものは、人に薦められたり組織化されたりしてやるものではないような気がしています。今の時代は遊び感覚がないと運動が大衆に広がりませんし、押し付けは反発も生むでしょう。まずは、一人ひとりが自由に読書を楽しむ大きな呼びかけをしたいと思っています。

 個人的に考えているのは、親しい人同士で本を贈り合う習慣を広げていくことです。本というのは、ささやかな美術品だと私は思います。活字のバランス、装丁、インクの色、綴(と)じ方にまで心が配されていて、精密な細工ものを手にしたような喜びがあります。それでいて、決して高価なものではありません。贈り物にすれば、作品を通じて自分の思いを伝えることもできますし、相手のことを考えて選ぶ楽しみも生まれます。心を伝えるものとしての付加価値をどう高めていくか、出版界全体でよい知恵を出せればいいと考えているところです。

 また本に出会うチャンスを広げるという意味では、図書館の役割も重要です。これは国民読書年の1年でできることではありませんが、地道にソフト面を充実させていくことが大切です。日本の文化政策は、建物などハードは立派でもソフトが遅れているとよく言われますが、例えば浦安市立図書館のように、高い専門性を持つすばらしい司書がそろうところもあります。図書館というと時間をつぶしに来る場所というイメージがありますが、浦安の場合、館長さん以下の努力により、来館者の約半数は仕事の調査など具体的な必要があって訪れる方だそうです。これは図書館の存在意義をはっきりと示してくれています。

ネットの簡便さの一方にある、品質と情報格差の問題

――出版界をとりまく現状や課題の中で、特にいま関心を持っていることは。

 今の読書の問題は、紙と活字ではない、新しい情報メディアの急速な発達にどう対処するかという問題でもあります。電子機器というのは、情報を検索するようなレファレンスブック的な使い方なら的確ですが、文学作品などを読むのには向いていないと私は思います。「それはお前が本や新聞で育っただけのことだ」という反論もあるかもしれませんが、液晶画面で見る文字と紙で印刷した活字では、私たちの認識は微妙に違います。

 世代論はさておいても、電子メディアには、「使い方が恒久的ではない」という問題があります。日本には文庫本というすばらしい発明品がありますが、これはポケットに入れて持ち歩いても、寝ころんで読んでもよし。あの簡便さは、文字を読む時の私たちの生理とどこかでリンクしています。一方、多機能化した最近の携帯電話で、私がきちんと使える機能は全体の2割ぐらいでしょうか。使い方を習得できない人が少なからずいる機械が文字メディアの主流になれば、万人に開かれているべき情報に格差が生じます。

 また、ウィキペディアやブログなどの情報は、自分で吟味しないと利用しにくい面があります。平凡社の百科事典であれば、隅から隅まであるレベルの品質が一定しています。「ネットは情報を簡便に得られる」とはいえ、信頼性のチェックは自分がしなくてはなりませんし、情報操作も行われやすくなりました。便利さの一方で、失われていくものは何かを冷静に見ることも大切です。

 

――日本ペンクラブでは、グーグルが書籍全文のデジタルデータ化を進める「Googleブック検索」について抗議声明を発表し、今年8月にはクラブ有志が米国内の対グーグル訴訟和解案について異議を申し立てました。

 この問題はグーグル側も落としどころに迷っているようですが、当初グーグルが持ち出したことは、日本をはじめ世界各国の従来の商習慣や著作権保護の考え方に反するものでした。ネット社会を前提とした新しい著作権の考え方の構築は必要だと私も思いますが、その議論を尽くす前に、強力な力でデジタルデータ化が推し進められてしまうと、著作権という考え方自体が危機に陥るおそれがあります。

 特に問題は、「情報を多くの人が公正に利用できるのが正義」という考え方に基づく、アメリカ的なフェアユースの考え方です。はたしてこれが、世界の基準と見なされてよいのかということです。また、みんなの利益のためとはいっても、事実上グーグルという私企業がネット上の書籍情報を独占する点にも危険が伴います。大きな時代の波の中で私たちに何ができるかは分かりませんが、今後も言うべきことは言わなくてはなりません。

 

――出版界が今後、活性化していくためには何が必要だと思われますか。

 紙で読むのか、IT的なツールを利用するかはともかく、文章を読みそれを咀嚼(そしゃく)する「読書的な営み」が人間の知性を高めていくということを信じ、それを訴え続けることですね。日本人は今でも読書好きの民族だと思いますし、それを支える識字率は世界一でしょう。他国のことはいざ知らず、資源の乏しい日本では、読書という文化手段を国民的に活用することによって、豊かな知性を培ってきた歴史があります。

 また書き手の立場から言いますと、書くという行為は思索を必要とすると同時に、責任を常に伴います。そこから生まれる信頼感が私たちのコミュニケーションの大切な部分を支えていることを、社会に改めて感じてもらうことが必要かもしれません。話すことは消えていくもので、総理大臣の発言ですら1年もすれば忘れられます。ところが、書いた文章は何十年たってもそのまま残るのです。大切なことは紙に書く。書けば残るからこそ、そこに責任が生じ、読む側も尊重するわけです。

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